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東野圭吾の人気シリーズの湯川学の登場する作品。
平成17年下半期、第134回直木賞受賞作。あるいは2006年「このミステリーがすごい」1位。
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高校の数学教師である、石神哲哉は隣人の花岡靖子が元夫を殺してしまったことを知ってしまう。靖子へ恋心を秘めていた石神は、その純粋な想いから彼女を守るため、完璧な隠蔽を実行する。
しかし、その前に立ちはだかる。
天才数学者が己の全てをかけて作り出した完璧なる証明問題にたいし、かつて帝都大の同期であり、好敵手と認め合った湯川が挑む。
読み終わった時泣いた。
『手紙』の時も泣かされてしまったが、まさかミステリーで泣かされるとは思わなかった。
石神という人物にこれまでに無いほど感情移入してしまい、読んでいる中でとにかく心が締め付けられた。
誰にも認められない崇高なる天才が考えた、あまりにシンプルでそれ故に残酷なトリックは、驚くというよりその純粋な想いがただ悲しい。
ミステリーとしてここまで読ませる作品もそうあるものではないので、読み物としては大いに満足している。
トリックは現代本格においてそんなに目新しいものではない。
しかし、組み合わせ、というか文体と構成と展開の妙で、読者を引き込ませてしまうので気づきにくい。
ネタばれを避けるために抽象的な表現になってしまうが、作中で石神が仕掛けるトリックと、作者が読者に対して仕掛けるトリックがうまく作用しているのだ。
おそらく、私のようなミステリ好きの中級者はかなりの確立ではまってしまう仕掛けだと思う。
この作品の中心にあるのは石神の数学者としての「純粋さ」である。
この作品ではその「純粋さ」を「愛」として描いているわけだが、その純粋さは一歩引いて見れば狂気ともいえる代物なのである。
そこに気づかず「純愛」として感動を見出すのもいいだろう。そして、「純粋なる狂気」に気づき、そこに悲哀を感じるのもまたこの作品の読み方だとも思う。
ただ、東野がこの物語をただの「独身数学オタクが隣の女に惚れた挙句、ストーカー的な妄執で犯罪を犯す」という話に書かなかったことは間違いなく褒めていい。
ところで、話は少し変わるのだが、2006年のミステリ界はこの『容疑者X』の話で持ちきりだった。
二階堂黎人の黒犬黒猫館の容疑者Xに関する評論に端を発するミステリマガジン上で繰り広げられた論争のことである。
くわしいことは検索でもして欲しいところで、省く。
容疑者Xの献身を読み終わった後、図書館に駆け込んでミステリマガジンを2006年3月から半年分借りて読んだわけだが、いやー現代ミステリ界をしょって立つ作家やミステリ評論家が一つの作品について真剣に向き合い、ミステリ界の現状について書いた文章は本当に面白かった。
しかし、通しで読むと二階堂黎人の議題の持ってきかたのまずさがはっきりと分かる。
彼の主張は結局「容疑者Xは広義のミステリだが、本格ではない。よって、ミステリ評論家の評価が高いことは許せない」というものだった。
でも、06年3月の同じミステリマガジンに掲載された笠井潔の主張は違うのだ。「容疑者Xは本格ではあるが、難易度の低い本格である。よって、ミステリ評論家の評価が高いことは許せない」これが笠井の主張である。
二階堂と笠井は同じく容疑者Xの世間の評価に疑問を持っているがスタンスは全く別だった。
その後、半年に渡ってミステリ界の偉人たちが論争に加わるのだが、容疑者Xが本格であるという点には疑問が出なかった。
つまり、結局のところ二階堂はの主張は論争の発端となったが、それは同じく声を上げた笠井に否定されてしまっているんだよね。これは少し哀れに思えた。
誌上の評論合戦も、「容疑者Xは本格ミステリだが、評論家やランキングでの高評価は妥当なのだろうか」という論点にシフトしていったように思う。
笠井の主張どおり、難易度の低い本格ミステリは評価に値しないのか。
難易度の低い高い(ミステリマニアがトリックを簡単に推理できるかどうか)が作品の良し悪しに繋がるのか。
そもそも、容疑者Xのトリックは質が低いと断言していいのか?簡単にわかるというが、そうなのか。
いや、トリックが云々というより、容疑者Xのストーリーだって手放しに褒められるものではないじゃないか。
こうした各自の論評から透けるのは、何が作品を本格ミステリたらしめるのか、本格ミステリの良し悪しはどこできまるのか、という「本格観」の問題だったのだ。
80年代終わりからの新本格ブームとその後のメフィスト作家やライトノベル作家らの登場によるミステリジャンルの解体、拡散の動きとも関連づけられそうで、中々有意義な論争だったと思う。
ここで私の本格観なんて語るのは野暮なので止めておこう。
ともかく、これだけ高い評価を与えられ、その一方で論争が起こったというのは、この作品に語られるだけの価値があった、ということだろう。
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